心穏やかな日々を求めて!

シニアのつぶやき、独り言

歌を忘れたカナリア?

コンビニの前の広場に 1本の見事な桜がある。


買い物ついでに見ていたら 沢山の鳥がとまっていてピーピーと鳴いていた。
暖かい日差しと鳥の声とハラハラと落ちてくる桜の中で しばしたたずんでいて
ふと気が付くと 1羽の鳥だけが鳴かず静かにしています。
具合が悪いのかな? あまり鳴かない種類なのかな?



ベンチでその鳥を眺めながら 遠い遠い昔の事を思い出しました。


童謡の「歌を忘れたカナリア」です


歌を忘れたカナリアは、後ろの山に捨てましょか。
いえいえ それはなりませぬ。
歌を忘れたカナリアは、せどのこやぶに 埋めましょか。
いえいえ それはなりませぬ。
歌を忘れたカナリアは、柳のムチでぶちましょか。
いえいえ それはかわいそう。


歌を忘れたカナリアは、象牙の船に 銀のかい
月夜の海に 浮かべれば忘れた歌を思い出す。


このような歌詞ですが、私は後半のところは知りませんでした。
だからなんて 怖い歌だと思ってました。


私は 6歳ごろから11歳ぐらいまで タイのバンコクに父の仕事で
住んでいたことがあります。
その頃のバンコクは 今とは違い日本人は少なく もちろん日本人学校も
ありませんでした。


だから 中国系の片言の日本語を話す家庭教師に ずっと勉強を見てもらっていました。
一人っ子で回りに同じぐらいの子供もいない環境で 大人の中で育ちました。


小学校の高学年に近づき 母と私だけ帰国して 都内の公立の学校に転入しました。
当時は 帰国子女なんて言葉もないくらい 珍しい存在でしたので、学校中の
好機の目で見られ、恥ずかしかった記憶しかありません。
もちろん 学校生活は初めてで、日直も当番も職員室の意味も分からず いつも
男の子からからかわれ、おまけに日本語も幼児言葉で笑われ 毎日が苦痛でした。


計算と漢字だけは どうにかついていけましたが、音楽は歌を知らないのです。
年末に先生が 「きよしこの夜」なら歌えるでしょうと (きっと自信を持たせる
ために)独唱をさせられたのですが、私は日本語の歌詞がわからず英語で
歌い始めました。
当時は 小学生が英語の歌を歌うことが珍しいことだったのか、周りがざわめき
私は 途中で歌えなくなりました。
先生が何度もピアノを弾てくれるのですが 歌えません。


その時男の子たちが 「歌を忘れたカナリア」を歌い始めたのです。


悲しかった! 寂しかった! すごい疎外感を味わいました。


遠い遠い昔の事なのに 桜にとまっていた緑の鳥が自分のように見えた一瞬でした。